Pray




 昼は学生。夜はLINK VRAINSのヒーロー、playmaker。二足のわらじがもたらした結果は世界の平和であり、高校生・藤木遊作の危機だった。

 長きにわたり繰り広げられたハノイの騎士との戦いを終えた遊作に待ち構えていたのは、膨大な量の課題と提出物だった。もちろん成績不振を理由に課せられたものなんかじゃない。謂わば、日々の課題を後回しにし、戦いと情報収集を最優先にしてきたツケのようなものだった。頭脳明晰な彼は学期末考査においても優秀な成績を収めていたので、いつも最後列で授業を受ける様とは相反したその出来の良さに教員も唸るほどだったのだけれど、「だからといって課題をパスしていい理由にならない」と言われてしまえば、遊作も重い腰をあげるほかなかったようだ。

 手伝って欲しい。神妙な面持ちで私に助けを乞うたのが数時間前のこと。けど、彼は今、頭の休息を図るべくぐったりと自室のベッドに沈み込むように寝入ってしまっている。この世の憂鬱を全て詰め込んだみたいな重い溜息まじりに「30分経ったら起こしてくれ」とだけ言い残してから、既に1時間あまりが経過しようとしていた。


「遊作ー?」


 返事がない。ただのしかばねのようだ。


「ゆうさくー、もう1時間経ったよ」

「…………」

「ねぇってば、このままじゃ単位もらえなくなっちゃうよ〜」


 ベッドの縁に腰を下ろして、仰向けの遊作の肩を掴んで少々乱暴気味に揺さぶってみる。1回、2回、3回。起きない。こうなったら私が代わりに残りの課題を終わらせる?いいや、だめだ。そういう類の不正には教師は敏感なのだ。

 しつこく揺さぶり続けていると、薄い瞼からゆるやかに翠緑の瞳が露呈した。ぼんやりと空を漂うような視線が私を捉える。あ、やっと起きた。

 ほっと胸をなでおろせたのも束の間のことだった。遊作は黙ったまま再び両目を閉じると、肩に添えられたままの私の手を掴み上げ、ありったけの力を込めて身体を引き寄せてきたのだ。


「ぬあ!」


 いきなり支えを無くしたために、私は動転して悲鳴をあげた。重力に逆らうこともできずそのまま彼の胸の中へもたれ掛かるようにダイブする。安っぽいパイプベットが音を立てて軋んだ。


「ちょっ、まっ、」


 何をされるのかと身構えたけれど、遊作は自身の胸を押し付ける形で抱き締めてきただけだった。背中に回された手が、身体を拘束してくる腕が、思わず息を止めてしまいそうになるほど痛いくらい締め付けてくる。


「い、痛い、遊作、苦しいってば」

「いいだろ、少しくらい」

「…単位貰えなくなっても知らないよ」

「そんなヘマするわけないだろ」

「でもあの先生、提出物の期限にはうるさいからね?」


「………3分」

 夢とうつつの間を彷徨うかのような弱々しい声で、彼は言う。

「あと3分したらやるから……。もう少し、このままでいさせてくれ」


 いつもは他人を寄せ付ける間もないほどクールで知的で落ち着きがあって、一匹狼でもあるような彼が、珍しく甘えた様子で囁くものだから、どきりとさせられてしまった。ネットワーク世界を救った英雄も、単なる普通の一人の男の子に過ぎないんだと改めて思い知らされる。

 込められた腕の力とは裏腹な、じんわりと染み入るような優しい鼓動が胸板に添えた手から伝わってくる。私は小首を動かし、体制を整えて彼の胸に頬を寄せた。そして、復讐を遂げる前と遂げた後で、彼が打つ鼓動の色が変わっていることに気づく。耳元で、とくんとくんと、一定のリズムで繰り返されている穏やかな鼓動は、彼の心の安寧そのものを示していた。彼は今、安心を得ているのだ。

 きつく強くなされていた抱擁が徐々に力を失い出す。遊作は私の頭上で、すやすやと寝息を立てて、再び眠りについてしまった。

 それは暗に、事件の過去という因果の鎖を断ち切り、復讐という枷が外れ、止まっていた時間が動き出している現れでもあった。今までの遊作ならこんな触れ合い以前に、肌と肌との接触をも躊躇っていたはずなのに。でも今は違う。積極的で、際限なく甘えてくる。これは、心の成長と言っても過言ではないだろう。


 早く課題終わらせなきゃやばいってのに。

 でも、こうやって素直に甘えてこられるのも、悪くないかも。


 遊作の体温、遊作の匂い、遊作の心音。私の今を構築する世界の全てに、彼がいる。あらゆる心地よさに促されて、自然と私の瞼も重くなっていった。

 私はまどろみに身を投じながら祈った。これからもずっと心の安寧を保てていけますように。平穏と安息を手に入れて、幸せの一歩を踏み出して行けますように。進むべき道から脱線しませんように、と。彼の幸せが、私の幸せでもあるのだから。


 朝日が昇り切らない頃に目を覚まし、片付いてない課題の山に呆然と立ち尽くす羽目になるのは、そう遠くない未来の話。