緊張しない奴は一流じゃない、らしい。かの有名なプロ野球選手がインタビューでそう受け答えをしていたが、僕からしたら緊張する以前に仕事が片付いてしまうわけで。そういうタイプはどうなんだろう。一流飛び越して、超スーパーウルトラ一流? ま、強靭、無敵、最強の僕だしね。あり得る。

「でも五条は恋愛に関しては三流だよね」

 とある日の帰りに、硝子に夕飯を食べに行こうと誘って、適当な大衆居酒屋に入って、ふと一流とはなんたるかの話になったとき、そう言われた。お座敷に座って、お通しの枝豆を食べながら、悪びれもなく、平然と、息を吐くように。三流、その言葉に片方の眉がピクリと動いた。ムッとするほどではないが、いい気分にはならない言葉なのは確かだ。

「どういう意味、それ」

「どういう意味って、そのままの意味だけど」

 硝子は枝豆の殻を受け皿に投げ捨てると、ビールジョッキの中身の三分の二を一気に飲み干した。そして通りすがりの店員を呼び止め、同じものとを注文する。飲むの早くない? それ一杯目だよね。「五条は?」と聞かれ、「じゃあコーラ」と答えた。まだ手元の飲み物は並々と残っていたが、混雑した店内だ、どうせ届く頃には飲み干していることだろう。

「自慢じゃないけど、これでも僕、結構モテるし、通りすがりの女子高生に”あの人ヤバーい、カッコよくなーい?”って言われることもあるし、なんなら道端で綺麗なお姉さんに逆ナンされることも多いんだけど」

「まあ確かに、五条なら引く手あまたかもしれないね、性格さえ知らなければ」

「それ褒めてるようで褒めてないでしょ。さりげなく貶してない?」

「褒めてるよ。そう邪推するなって。ていうか、見かけの話じゃなくて、中身の話をしてるんだけどな、私は」

 空になった枝豆の殻で、硝子は僕を指す。冷めたジト目が、なんでもお見通しですよとでも言いたげに見えた。

「どうせ何も進展してないんでしょ? あの子と」

「…そう思う理由は?」

「今日ずっと不機嫌だったから。あの子と会った次の日の五条はいつも不機嫌」

「え〜…、僕そういうの、顔とか態度に出さないようにしてるつもりなんだけどなあ」

「自分ではそのつもりでも、分かっちゃうもんだよ。そういうのは特にね」

 不機嫌なのは否定しないのね、と硝子は枝豆の殻を捨て、また新たに枝豆を摘み、頬張りながら鼻で笑った。そして、ジョッキに残ったビールを全て流し込む。そういうもんなのかなぁと、首を傾げた僕をよそに、硝子は何が美味しいのかよく分からないあの苦い飲み物を、まだかまだかと待ち望むかのように厨房を見遣っていた。

「それで、今日どういったご用件で? 私にサシ飲みしようなんて誘うのは、大概あの子関連で話があるときだけでしょ」

「んー、あ゛〜、何から話せばいいのやら」

「今日は観たいドラマがあるから、なるべく手短によろしく」

 手短に、って言われてもなあ。両手を床に着けて、天を仰ぐ。剥き出しの骨組みや送風管がいかにも大衆店っぽいなぁ、なんて考えながら、頭の中にある、あいつとの出来事をどう言葉にすべきか整理し始めた。硝子は、高専の連中の中では、ある程度事情を知っている部類だけれど、ここ数ヶ月の出来事は伝えていない。さて。

「あいつさ、まあ色々あるけど、なんだかんだかわいい後輩じゃん?」

「そうだね」

「かわいい後輩…、なんだよなぁ」

 かわいい後輩がかわいい後輩なだけじゃないことに気が付いてしまったのは、いつだったか。これといったきっかけはあったかも知れないが、じゃあ具体例を挙げろと言われたら難しい。かわいい後輩のはずが、かわいいだけじゃない後輩になってしまい、驚いているのは、僕自身だし。



***




「ぎゃーっ、また死んだ!」

 東京都内の、とある区の、とあるそれなりのお値段の1LDKのマンションの一室に、色気のかけらも無い絶叫が響いた。ああ、ちなみに僕の家ね。何度観たかも分からないほど観た、とある海賊映画の一作目をソファーの上でだらけながら鑑賞していた僕は、その耳をつんざくような奇声に顔をしかめざるを得なかった。

「ちょっと、今いいとこなんだから静かにしてよ」

「先輩、五条先輩っ、こいつ強すぎますって!」

「人の話を聞けっての」

 当の奇声の主、後輩のは、遠く離れていない場所にあるダブルサイズのベッドの上に、我が物顔で寝転んでいて、PSPを天高く掲げていた。プレイしているのは”モンスターハンター2G”だろう。僕もやってるし、ついでに言うとG級は解放してるし、プレイ時間もなんだかんだ千時間は超えてる。ていうか、僕がやってるのを見て、は興味を示してやり出したんだけども。

「電気がぶわーって、ビリビリーってなってワンパンですよ? 信じられない! 装備整えたのに三乙した!」

「なんの狩猟してんの?」

「フルフルです、白い方のやつ。ああもう、四十分も戦ったのに!」

 ああ、なんだフルフルか。行動もワンパターンだし回避すれば避けられる攻撃も多いし、武器種によってはハメて狩猟できる。ヤマツカミに比べたらとことんマシな部類のモンスターだ。でも、は初心者ハンターだし、村クエのドスファンゴ相手に三乙してたお察しレベルのプレイヤースキルだから(しかも裸装備で挑むとかいうアホさ)、発狂するのも頷ける。イャンクックでは案の定白目を剥いていた。はて、ガノトトスの亜空間タックル食らったらどうなることやら。絶叫で済むのかね。

 てか四十分て。いくらなんでも時間かかり過ぎでしょ。

「五条先輩もモンハンしましょーよー。手伝ってください。勝てないです、理不尽過ぎますってこのゲーム」

「ソロで頑張るって息巻いてたじゃん」

「いやー、キツいです。てか無理ですね。はい」

「諦めるの早くない? まだ下位でしょ?」

「無理なものは無理! ねー、お願い先輩、お願いお願いお願いお願い〜!」

「あーもー、分かった分かった、分かったから騒ぐなって」

 菓子を買って貰えない子供が駄々をこねるみたいに、布団でじたばたし始められては映画に集中するどころの話ではなくなるので、重い腰をあげる他なかった。良いところだったんだけどなあ、映画。これからヒロインを助けに行くってタイミングで、我が家に居座るお姫様の救難信号。狙ってんのかな。いやこいつバカだし、偶然かな、流石に。

 リビングのガラステーブルに放置していたケースの中からPSPを取り出し、ベッドの縁に腰を下ろす。高専の人らは僕のこと我儘だのワンマンだのなんだの言うけれど、こいつに比べたら屁でもないと思うんだけどね、そこんところどうなんだろう。まあ任務の時は真面目に直向きにやってるみたいだけれど。

「で、武器なに使ってんの」

「んー、太刀です」

「防具は?」

「ザザミ一式!」

「はぁああ? お前バカなの? 雷耐性マイナスじゃん、フルフル相手でしょ、しかもなんで太刀でザザミなわけ」

「え、耐性ってなんですか。防具は見た目でしょ?」

 なに言ってんだこいつは。いくらなんでもモンハン舐めすぎじゃない? だからフルフル相手に四十分もかかるんじゃん。と言おうとしたけど、やめた。目をらんらんと輝かせて「さあやりましょ!」と急かしてくる笑顔が不覚にも可愛かったせいだ。僕って案外チョロいのかも。

 結局手伝ったところで何度も三乙されてしまい、僕が死ななかろうが狩猟できる兆しが到底見えなかったので、対フルフル用の装備を作らせた。なんだかんだでフルフルを討伐するのに二時間かかった。ついでに翌日、あの分厚い六法辞書みたいな攻略本も買ってあげた。手の焼ける後輩だよ、本当に。



***




「チョロいっていうか、甘やかし過ぎじゃない?」

 とある日のとの出来事を話し終えると、硝子は運ばれてきただし巻き卵に添えられた大根おろしを乗せて、それを頬張りながら言った。

「どうせそのゲーム機とモンハンとやらも買ってあげたんでしょ」

「げっ、なんで分かるの」

 図星だった。僕が黙々とモンハンしてるのを横で見ていたあいつが「そのゲーム面白そうですね、私もやってみようかなぁ」なんて言うから嬉しくなっちゃって、即ゲオに行った。で、買ってあげた。始めて数時間後に「先輩、プーギーっていつ焼いて食べるんですか?」なんてトンデモ発言をされたからよく覚えている。

「分かるよ。バカがバカに翻弄されてるって面白いね。ていうか、相変わらず五条の家に入り浸ってるんだ」

「そーだよ。結構な頻度で来たがるから、合鍵渡したんだよね」

「合鍵とか。ウケる。彼女待遇じゃん」

「彼女、ねぇ…」



***




 合鍵くらい渡してもいいか、と思ったのは、とある寒い夜の日のことだった。一緒にモンハンするようになる前の話。その日は、任務を終えて帰宅出来たのが、時計の針が十二時を指すか指さないかくらいの時間帯だった。コンビニで適当に夕飯を買って、今日は疲れたなあそれにしても冷えるなあなんて考えながら自宅マンションの自動ドアをくぐろうとしたところで、僕はびっくりしてコンビニの袋をその場に落としかけた。

 エントランスのオートロック前に、壁に背をもたれかけて、口をだらしなく開けたままグースカ寝転けている後輩の姿があったからだ。

「え、おま、なにしてんの」

 駆け寄って膝をつき、頰をぺちぺち叩いた。肌が氷のように冷たいのとは裏腹に、顔が赤い。微かに酒の匂いがする。どこかで酒をしこたま飲んで、酔っ払って、ここにたどり着いたのだろうか。

 いつもなら「今日お家寄っていいですか?」くらいの連絡あるんだけどな。そもそも連絡来てたっけ。気付かなかっただけだろうかと、ポケットから携帯電話を取り出して確認するも、それらしいものは見当たらない。その所作の合間に、彼女はぼんやりと目を覚ました。

「…ん、んあ、ごじょせんぱ、おはこんにちは」

「どーも、って、挨拶してる場合じゃないでしょ。そんなところで寝てたら風邪ひくよ?」

「いやぁ、先輩のこと待ってたんですけど、眠くなっちゃって、つい」

「つい、で寝るなよ。来るなら来るでいつもみたいに連絡してよ、びっくりするなあ、もう」

「連絡しよーと思ったんですけど、飲んでたら携帯無くしちゃってて」

「さらっと言ってるけど結構大事じゃないの、それ」

「んー、でもプラベ用の携帯だからいいかなーって」

「仕事用は?」

「持ってますよー」

「じゃあそっちで連絡してくれればよかったのに」

「あっ、確かに!」

 一連の会話のどこに、ツボに入れる要素があるのか分からなかったが、酔っ払いってバカになるんですねぇ、とは口を開いて笑っていた。元からバカだろって突っ込みを入れると「確かに!」と頷いて、なおゲラゲラと笑っている。バカの自覚あったんだ。酔っ払いの介錯が今日の残業か。まぁこいつの場合、風呂入ってベッドに潜り込んだら即寝だから大して苦にはならないからいいけど。

「ほら、笑ってないで、部屋行くよ」

「先輩〜、おんぶしてください〜」

「分かった分かった。じゃあこれ持ってて」

 コンビニの袋を持たせて、を背負う。酒臭かったけど、ひっつき虫みたいに、ぎゅう、と腕を回されてしまえば、それも許せてしまう。あれ、やっぱ僕チョロいんじゃないか。自分の回想に対して突っ込むのもアレだけど、チョロすぎないか、僕。

 翌朝、酔いが醒め、二日酔いに苛まれているであろう最中に、は「昨晩は大変ご迷惑をおかけしてしまい大変申し訳なく思っております」と寝起き早々に深々と土下座をしてきた。枯れた声で、なおかつ、鼻声で。

 いやまさかね。そんなベタな展開あるかね。半信半疑のまま、救急箱から体温計を取り出し、熱を測らせると、三十八度。僕は体温計とを各々二度見した。も僕と同じ動作をした。

 そして、目を潤ませながら、後輩が一言。

「先輩、バカって風邪ひかないんじゃないんですか…?!」

「……バカの自覚があるバカは例外なんじゃない?」

 そもそも、バカは風邪をひかないんじゃなくて、気づかないだけだって。無くしたと言っていた仕事用の携帯は普通に私服のポケットの中にあったし、おまけに風邪はひくしで、自分の後輩のあまりにもな馬鹿さ加減に、笑いが腹の底からこみ上げてきて止まらなかった。口元に手を当てながら、多分、涙が出るくらい笑ったと思う。

「ぶっ、くく、あはは、あー、おもしろすぎだろ、ほんと」

「わ゙ら゙い゙ご゙どじ゙ゃ゙な゙い゙で゙ずよ゙お゙お゙お゙!」

「声…っ、藤原竜也みたいになってっけど…っ、ぶふっ」

 ひとしきり笑ったあと、おかゆを作って食べさせて、風邪薬を飲ませた。そして、僕から高専に事情を話して、を(半ば無理矢理)休みにしてあげた。「お前の今日の仕事は僕が受け持ってやるから、とりあえず安静にしてなさい」とベッドに寝かせると、彼女は渋々と言った様子でそれに従った。

「な゙に゙がら゙な゙に゙ま゙で゙ずみ゙ま゙ぜん゙…」

「いいから喋んなって。その声かなり面白いけど、悪化したら元も子もないでしょ」

「ばぁ゙い゙…」

「んじゃ、そろそろ僕仕事行くから。ああ、そうだ」

 リビングの引き出しから、引っ越して来てから一度も使うことのなかった、特に使う用途もなかった、スペアキーを取り出す。布団を深々と口元まで被ったの元へ行き、それを手渡した。

「どうせのことだから同じこと繰り返すでしょ。特別に合鍵あげるよ。今度からは、うちに来たいときはこれ使いな」

 鍵を受け取った後輩の頰が赤かった気がするけど、多分、熱があったからだと思う。この出来事以来、は多い時に週に四回、少なくても週に一回は僕の家へ訪れるようになった。とは言え、前より少し頻度が高くなった程度だけど。多分、自分の家に帰るより、僕んちに居る時間の方がきっと多いだろうね。



***




 後輩との出来事をなるべく簡潔に伝えてはいるものの、どうしても会話量的には僕が八割を占めてしまうので、硝子は既にビールを三杯飲み干し、日本酒に手を付け始めていた。運ばれて来たとっくりの中身は、さっきまで並々とあったのに、新たにおちょこに注いでは、あっさりとそれを空にしてしまう。下戸の僕には未知の世界だ。

「五条、一つ気になるんだけど」

「ん? なに?」

「君たち、寝るときどうしてんの? 流石に別々だよね?」

「え、一緒にベッドで寝てるけど。ダブルベッドだし」

「はぁ?」

 普段、表情にレパートリーが少なく、お酒をしこたま飲んでも顔色一つ変えない硝子が、これでもかというほど顔をしかめた。当たり前か。硝子が何を言いたいのか、僕には分かる。いい歳こいた男女が、同じベッドで寝て”何もない”なんて、夢物語にもほどがあるって、そう言いたいんだろう。僕だってそう思うけど、実際そうなっちゃってるんだから仕方ないでしょ。

「五条の家に入り浸ってて、合鍵も持ってて、同じベッドで寝てって、それ、最早付き合ってる通り越して同棲してるようなもんじゃん」

「んね、ほんとにね」

「まるで他人事だな」

「あんまり実感湧かないんだよね。かわいい後輩が慕ってくれてるのは嬉しいんだけど、じゃああいつとそれ以上の関係を持つかって考えるとさ。このままでいい気はしないんだけど、でも、このままの方がいいんじゃないかって気もして」

「それがここ最近の不機嫌の理由?」

「まぁ、そうなるね」

「へぇ、最強の呪術師もなんだかんだ一人の人間か」

「でもさあ、僕はなんでのことが好きなんだろう? 何が良くて惹かれたのか……、女子力のかけらもない、色気もない、あいつが家に来ると嵐が来たような気分になるのに。自分でもわかんないや」

「好きに理由なんて必要ないと思うけどね。恋愛なんてそんなもんでしょ。大概、気づいたときには好きになってるもんだよ」

「硝子、なかなか深いこと言うね。もしや、経験者は語る的な?」

「さあ。想像に任せるよ。経験があったとしても五条だけには話さない」

「つれないなぁ」

 硝子は呼び出しボタンを押して、新たに日本酒を二合注文する。僕はまだ二杯目のコーラが残っているので、注文は保留。ていうか、よく飲むなぁ。僕の周辺い居る女性陣は、男より男らしいというか、なんというか。呪術師やってく以上、多少のイカレっぷりは確かに必要なんだけども。

「いっそのこと、一発ハメちゃえば? 既成事実作って外堀埋めてけばいいんじゃない?」

「いやいやいや、とんでもないことを簡単に言ってくれるね」

「ある意味五条悟らしい行いだと思うけど?」

「ん〜……、そうしようと思ったこと無い、って言ったら嘘になるな」

「ほう」

「……まだ時間、余裕ある?」

「観たいドラマは録画してあるから。あとは五条の心意気次第だね」

「奢るよ、奢りますとも。ていうか毎回奢ってるじゃん」

「理解が早くて助かるよ」



***




 傍若無人とも言える後輩にも、結構律儀なところはある。僕の家に上がるときは必ず一言、電話なりメッセージをくれるし、アイスやらケーキやらコンビニのデザートやら任務の際に訪れた地方の銘菓やらをお土産に持って来てくれるのだ。

 そして、これは結構つい最近の話。

 任務の帰り、伊地知の運転する車に乗っていると、いつものように”家行っていいですか?”と連絡が来て、はいよ、とだけ返事をして、携帯を閉じた。実を言うと、が持ってきてくれる甘味の数々は僕の好みの的を得てくれているので、それも嬉しかったりする。今日はなんの甘味をお土産に持ってきてくれるだろうかと心踊らせていると、ぽん、と携帯が鳴った。「今日、桃鉄? だっけ? それしません?」だって。

 ”いいけど、桃鉄興味ないって言ってたじゃん”

 ”いやあ、たまにはボードゲームもやってみようかなって思って!”

 は、最初こそ難色を示すも、僕のやっていること、好きなもの、それぞれになんだかんだ興味を持ってくれるし、共感してくれる。もしかしたら、僕はそういうところに惹かれてるのかもしれないし、それが単純に嬉しいのかもしれない。

「伊地知〜」

「はい?」

「車飛ばして。マジ急用。一時間で僕んち着かなかったらマジビンタ」

「ま、マジビンタ…?!」

 あいつと対人ゲームをする日が来ようとは。モンハンは協力ゲーだしね。ゲームルールを理解してる僕にかなり分があるし、コテンパンにして発狂させよう。ちゃっちゃと帰って、あの余裕に満ちた顔を絶望に染めてやろう。

 そう思ってたのに。

 家に着くと、後輩はあろうことが、僕のベッドの上ですやすやと寝息を立てていた。

「おい」

 荒々しくベッドに腰掛けて、肩を揺さぶってみるが、目覚める気配はない。

「おーい、起きろって、桃鉄するんでしょ」

「んー…、ぐぅ、ぐぅ、や、闇より出でて闇より黒くぅ……ううん」

「寝ながら帳張ろうとすんな。ったく、起きろ、おーきーやーがーれ」

 頰を抓ったり、叩いたり、耳元で騒いだりしてみたけど、起きない。なんなんだこいつは。普通ここまでされたら起きるでしょ。しかも何、この格好。勝手に僕のTシャツを拝借しておいて、下は履いてないとか。パンツ丸見えだし。誘われてんのかな、これ。仮にも男の家に居るのに、無防備すぎんだろ。

 不覚にも、ほんの少しだけ勃ってしまった。くそ。なんでこんな女なんかにムラっとしてるんだ僕は。確かにこいつのことは好いてるけど、えっちなことしようとかしてやろうとか、微塵も考えたことなかったのに。

「はぁ、起きねーならキスすんぞ」

 半ば投げやりな言葉だった。してやろうと思ってたし、しなくてもいいかくらいの。シャワーでも浴びて、一旦頭冷やそう。それでも起きてなかったら、そん時は本当に襲ってやる。そう思って立ち上がろうとした、その時だった。

「…ん、んん? 先輩、今なんと? 聞き捨てならない言葉を頂いたような気がしましたが?」

 深い眠りを貪っていたはずの後輩が、目を覚ましていたのだ。

「は、おま、起きて、」

「ささ、どうぞ。冷めないうちに、熱いベーゼを!」

 さっきまで寝ていたくせに、随分とハキハキとした口調だった。もしかして寝てるフリ、だった? は僕の服の裾を引っ張って、目を閉じ、唇を尖らせている。何がベーゼだ。バカにしてんだろこいつ。ムカついたので、彼女の両手を取り、背に足の裏を乗せて、力任せに引っ張ってやった。

「いだだだだだだだだ! 先輩! なんなんですか!」

「それはこっちの台詞だっつの!」

「寝起きドッキリってやつですかこれ?!」

「ドッキリ仕掛けてんのは! お前の! 方でしょ!!」

 わあわあぎゃあぎゃあ、ベッドの上で取っ組み合っていたら、キスをしてやろうだとか、えっちないたずらを仕掛けてやろうだとか思っていたことをすっかり忘れてしまっていた。息も絶え絶えになるほどの取っ組み合いのあと、「…桃鉄しますか」と言われたので、の持って来た菓子を食べながらやった。ついでに言うと、コテンパンにしてやった。が泣きべそをかくくらいには。

 三時間くらい桃鉄をやった後、ふと、先程の後輩の反応を思い返した。キスしてやろうと思ったことは事実だし、それに、彼女は拒むどころか受け入れようとしたのも事実だ。冷静になって、改めて考えてみると、ある意味進歩なのかもしれない。

「つーかさ、お前さ」

「? なんですか?」

「なんで僕んち来たがるの?」

 キスすんぞの一言に、はああやって戯けてはいたけど、もしかしたら、もしかするかもしれない。ていうか、そうであれ。

「ん〜…、私んちより、先輩の家からの方が高専近いんですよねー」

 僕の家は簡易ホテルか。また取っ組み合いになった。



***




「鈍感とかにぶちんとかじゃなくて、本気で五条のことを異性として意識してないんだろうな。私が思うに」

「……デスヨネー」

 硝子の目から見てもそう思えるか。っていうか、聞いて、だけど。

 でも、あの時、本当にキスしたり、えっちないたずらを仕掛けていたら、どうなっていただろう。はどんな反応をしただろう。頬杖を付き、考える。

「先輩…、うれしい。私ずっと先輩に抱かれたかったの」

 ……いや、ないな。

「先輩何してんですか、溜まってんすか? ウケる」

 絶対こうだ。こう言われるに決まってる。

「あー、思い返したらなんかムカついてきたぞ」

「五条〜、私この十四代の大吟醸飲みたい」

「いいよ、いいよ、飲め飲め。飲みたいだけ飲みな。五条様の奢りだ」

「ラッキー。ていうか、こないだあの子の誕生日だったよね。なんかしてあげたの?」

「ん、ああ。アクセサリーあげた」

「うわっ、重。なにあげたの」

「…ネックレス」

「どこの? 安物?」

「まさか。……硝子、引かない?」

「なに言っても引くからとりあえず言って」

「……ハリー・ウィンストン」

「…マジ?」

「大マジ」

「リリークラスター?」

「だから、なんで分かるんだよ」

「はぁ、五条がキャバ嬢に貢ぐ太客に見えてきた」

「失礼な。女性に喜ばれるプレゼントは何かって、ちゃんとネットで調べたんだからね。僕みたいな超スーパーウルトラ一流呪術師が中途半端な値段のものあげるのも変な話でしょ」

「だからってハリー・ウィンストンは無いな。で、五十万の価値と収穫はあったの?」

「あったと思う?」

「いいや、全く」

 デスヨネー。見透かされ過ぎて、だんだん怖くなってきた。あの高級感溢れる、リボンに包まれた深い群青色の箱を渡しても、中身がダイヤに溢れたネックレスでも、の反応はゲオでPSPとモンハンを買ってあげた時と変わらなかった。唯一の救いは、「え! ありがとうございます! かわいい! 毎日付けますね!」と言って、欠かすことなく身に付けてくれていることだろうか。

「ねー、硝子」

「なに」

「僕どうしたらいいんだろう」

「私に聞かないでもらえるかな」

「つーか話戻るけど、どうして僕が恋愛三流なわけ?」

「自分の胸に手当てて聞いてみなよ」

「ええ?」

「はぁ。だーから五条は恋愛三流なんだよ」

 硝子はため息を吐くと、運ばれてきた十四代の大吟醸とやらをとても美味しそうに飲み始めた。



***




 それから三十分も経たないうちに、硝子はとっくりを計四本、合わせて八合を飲み干した。硝子がトイレに立ち、そろそろ解散しますか、という流れになったとき、僕の携帯にメッセージが一件飛び込んできた。話と悩みの種の、あの後輩からだった。

 ”先輩、今日遊び行っていいですかー? てか今どこに居るんですか?”

 お、所在を問うてくるなんて珍しい。”外食中。そろそろ帰るよ”とだけ打って送った。

「五条、なにニヤついてんの」

 トイレから戻ってきた硝子が尋ねる。

「え?」

「ああ、あの子からか。顔に出てるよ」

「嘘」

「本当」

 僕、本当に顔に出るタイプだったんだな。これじゃあ硝子だけじゃなく、学長とか七海とか、伊地知にすら悟られてる可能性あるぞ。

「五条、今日は美味しい酒が飲めて最高だったよ」

「そりゃドーモ」

「その代わりというか、お礼はしておいたから」

「お礼?」

「そう、お礼。と言うかお膳立てかな。あと、どうしたらいいか、だっけ。その答えも教えてあげるよ。童貞チェリーボーイくんじゃないんだから、分かると思うんだけどね、普通は。自転車と同じなんだよ。必要なのは漕ぎ出す勇気だけ」

 硝子はこっちへ耳を貸せと、手招きをする。それにつられて、僕は前のめりになって耳を傾けた。

「五条がすること、言うべきことは──」

 そして硝子は囁く。その言葉は、的確で、あまりにも単純すぎる内容だった。肩透かしを食うくらいには、当然すぎて、どうして僕は今まで気付かなかったのかと、後悔するほどに。

「…ショーコさん、僕、確かに三流でした」

「バカ同士、お似合いだと思うよ。私はね」

 その日の飲み代は計六万。サシ飲みにしてはいいお値段だったが、いい勉強代になったと思えば安いもんだ。



***




 好きだよ。その一言を伝えるだけでいいのだと、硝子は言った。

 家に帰ると、後輩が既にソファに寝転んでいて、モンハンに勤しんでいた。そして、僕の姿を視界に捉えるなり、「あっ、先輩! おかえりなさーい!」とPSPを投げ捨てて、飛びついてくる。やけにご機嫌だなと思った。僕は心臓が痛いくらいドキドキしていて、緊張してるってのに。あ、でも緊張してるってことは一流なんだっけか。じゃあ僕もこれで、晴れて恋愛一流なわけだ。やったね。

「先輩、それで、大事な話ってなんですか? 家入先輩からそう連絡来たんですけど」

 ああ、なるほど。硝子の言っていた”お膳立て”って、そういうことか。確かに、こういうきっかけでも作らなければ、この一言を伝える機会も雰囲気も無かっただろう。と二人で過ごしていると、気が付いた時には、一緒にゲームしたり映画を観たりで、それが”当たり前”になってしまっていたのだから。「あのね」と僕は咳払いをしてから、抱きつくの体を引き離し、肩に手を置く。心臓が喉から出てきそうだ。気恥ずかしくて、目の前の後輩を直視することができず、俯きながら、僕は言った。

「好き…、なんだけど。のこと…」

「……へ?」

「だぁかぁらぁ、好きなんだってば、お前が」

 言った、言えたよ硝子! どうだこれで少しは──、

「ああ、私も先輩のこと好きですよ」

「……へ、」

 拍子抜け。その一言に尽きる。サングラスがズレた。顔を上げると、照れるわけでも、驚いている様子もない、いつもと変わらない笑顔を携えるの姿があった。え、ゑ? 僕、告白してんだけど。一世一代の告白劇が、こんなにあっさりしてていいもんなの、そこんところどうなんですか硝子さん。

「なあんだ。大事な話ってそゆことかあ。てっきり合鍵返せとか、もう家に来るなとか言われるのかと思っちゃいましたよ」

「あのさ、待って、反応軽くない? え? 僕、告白してんだよ?」

「え? ああ、はい、そうですね」

「なんかもっと、こう、無いの? も僕のこと好きなんだよね? 嬉しすぎて泣き叫ぶとか、あまりの感動にゲロ吐き出すとか」

「ええ〜、そんな反応したら先輩ドン引きするでしょ〜?」

「確かにそうだけど…、でもなんか腑に落ちないんだけど?」

「んー、そう言われてもなぁ」

 は唇を尖らせて、顎に手を当てる。もしかして未だに鼓動が早いのは、僕だけ? どうしてこいつはこんなに平然としていられるんだ? バカなのか? いやバカなんだけれど。

「ていうか、先輩って意外と鈍感だったんですねぇ」

「は?」

「好きとかいちいち言わなくても伝わってるもんだと思ってましたよ。私、好きでもない男の家に転がり込むほど意識低くないですし。先輩のこと好きだから遊びにきたり、先輩と一緒に楽しみたいからあんな難しいゲーム始めたりしたのに。もー、先輩ってばぁ〜、鈍感!」

「…………」

 ふつふつと、腹の底から湧き出る感情がある。そう、これは怒りだ。額に青筋が立って、ぶちん、と切れた。

「お前が言うな、お前がぁ! 言うだけで終わる話だったてことに気付かなかった僕も悪いけど、いや、僕は悪くない、絶対に!」

「うぇ、なんですか先輩、いきなりキレないでくださいよ?!」

「告白されて平然としてるところも余裕ぶってるのもムカつく! 鈍感なのはお前の方! 好きでもない女に五十万もするネックレス買うわけないでしょ、この僕が!」

「まじすか? これ、五十万? 私めっちゃラッキーじゃん!」

「食いつくところそこなんだ?!」

 晴れて両思い、のはず、なんだけどなあ。どうにも調子が狂うよ。本当に。行き場の無い怒りをぶつけるように、の頸動脈を絞めると、彼女は痛い痛いと言いつつも、けらけらと笑っていた。ああもう、本当に調子が狂う。なんでこんな女が好きなんだろう。でも仕方ないか。好きなのは好きなんだから、どうしようもない。実際、の明るさに救われたことも多いんだから。

「先輩、機嫌なおしてくださいよぉ。あ、そうだ。キスしましょ、キス」

 キスの一言に、首を絞める腕の力が緩んだ。それを見過ごすことなく、は拘束からするりと逃れると、僕の頰を両手で掴んで、「隙あり!」と、小鳥が啄ばむような軽いキスを施した。「へへ」と照れ隠しのように無邪気に笑われて、僕の顔が文字通り噴火した。

「そういえば、さっき一人でフルフル討伐できたんですよ。すごくないですか、あれ? 先輩? せんぱーい?」



***




 大衆居酒屋、イン、僕と硝子。僕の手にはメロンソーダ、硝子の手には日本酒の大吟醸。後輩との事の顛末を話すと、硝子は何が面白かったのか「……っ! ……っ!!」と顔を伏せながら声を殺して笑っていた。

「…っ、はー、ウケる。でも良かったじゃん、両思いで。晴れて恋人同士ってわけだ」

「恋人に見える? 僕ら」

「いいや、全く」

 そうだよなぁ、と後頭部をぼりぼりと掻くしかなかった。好きだと伝えて一ヶ月の月日が経ったのだが、僕と後輩の関係性は至って普通というか、今まで通りだった。未だに呼び方は「五条先輩」だし、名前で呼ばせようとしても、今更無理ですと言って変えようともしない。だらだら一緒に映画を観たりゲームをするのも、変わらない。唯一変わったことと言えば、が住んでいた家を引き払うのが決まって、僕の家に本格的に住み始めることになった、くらいだろうか。

「ていうか、硝子知ってたでしょ、あいつの気持ち」

「ああ、うん。知ってたよ。っていうか顔合わせる度に五条の話聞かされてたし、流石に分かるよ」

「教えてくれても良かったじゃん」

「それじゃつまんないじゃん。それに、五条からあの子の話を聞くだけでタダで美味しいお酒が飲めたし?」

「あのねぇ……」

「結果としてはwin-winだったんだからいいでしょ」

 してやられた感MAXだ。本当に呪術界の女は末恐ろしいよ。硝子はガバガバと酒を煽っては、遠慮なく追加注文している。いやいいんだけどね。金なら腐る程持ってるし。

「で、今日はどういう相談? もうセックスはした?」

「その質問どストレートすぎない? っていうかなんで僕が言う前に相談内容理解してんの?」

「分かるよ。顔に出てるもん」

「はぁー、怖い怖い。で、だ。あいつとさ、キスとかえっちとかしようとすると、逃げられるんだよ。なんで? 笑いながら躱されるんだよ? 酷くない?」

 大真面目に相談したのに、硝子は日本酒を吹き出して、くすくすと笑い出した。あ、多分こいつ何か理由知ってるな。くそ。絶対聞き出してやる。

「こりゃ、まだまだ美味しい酒が飲めそうだ」