君は可愛いんだから、悪い男に捕まらないようするんだよ。なんてアドバイスを、蝶よ花よと育てた教え子の卒業間際にしておいて、自ら”悪い男”になってしまったのは、なんとも皮肉な話だ。

 鼻につくほど甘ったるい芳香剤の香りと、ピアノが奏でる眠気を誘うようなBGMが、間接照明の明かりだけが頼りの薄暗いホテルの一室に満ちている。その一室で、僕とは情事に励んでいた。

 体を重ねるのはこれが初めてじゃない。じゃあ何回目?と問われたら回答に困る。両手の指を何往復させても数えきれないほどの回数だからだ。今日もただ貪欲に、ひたすらに、鎌首をもたげるほどの欲求をぶつけて、快楽を求める。

 回数を重ねる毎に、の声や腰付き、表情や反応が自分好みに変質していくのが楽しくて仕方なかったが、それでも、どうしても侵せない部分が彼女には存在していた。単なる性処理ならば右手でこと足りるのに、性欲が赴くまま彼女を犯してしまうのは、そこを自分のものにしたくて、躍起になっているからかもしれない。支配欲が満たされ、手中に収めている実感が湧くのは、彼女を抱いている時だけだった。

 でも、世間一般的に、僕らの関係を彼氏彼女とは呼べないだろう。会って飯を食ってホテルに行ってヤる。要はセックスフレンドだからだ。どうしてそんな中途半端な関係を続けてるわけ、と歌姫に問いただされた時、咄嗟に出た僕の答えは「失うのが怖いから?」だった。

「意味わかんない。男でしょ。付き合いなさいよ、そこは」

「んー、突き合ってるよ」

「漢字が違うッ!」

 あんたサイテー。そう蔑んで、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる歌姫の反応は最もだった。分かってるよ、そんなこと。だからと言って、今更「好きだよ。付き合おっか」なんて言っても、体裁を取り繕ってるだけと思われかねないし、何より僕自身のプライドが許さない。素直じゃないって? こちとら、老若男女問わずキャーキャー黄色い声を浴びせられる、グッドルッキングガイの五条悟様だぞ。「先生、好きです。付き合ってください」と言われるまで、自分からへり下るつもりは毛頭なかった。

 それに、僕には僕なりのタイミングがある。いつかは自分の気持ちを伝えなきゃいけない場面が訪れることは分かり切ってはいるけれど、今はまだその時じゃないとも思ってる。訳あって呪術の世界から身を引いてしまったと僕の繋がりはこれくらいしかなかったし、僕にとってはこの関係が崩れてしまうのが一番嫌で、怖かった。ひび割れた結氷のように脆く、危なげな関係性だとしてもだ。付き合おっか、からの、だが断る、なんてルートを辿るのは(絶対あり得ないだろうけど万が一あるかもしれない)ごめんだ。

 まだ、言葉にしなくたって大丈夫。時間が経っても、関係を具体的なものに昇華しなくたって大丈夫。僕はいつも自分にそう言い聞かせている。

「…っ、はぁ、せんせ、まって、激し……っ!」

「だーめ。待たないよ。激しいの好きでしょ」

 を四つん這いにさせて、後ろから膣壁を抉るように攻め立てると、彼女の体は逃げるように前方へ動いた。サディズムを擽るような動きだ。ああ、気分がいい。思わず口角が釣り上がる。無論、逃すつもりはない。腰を掴んで、より奥深くまで自身を捻じ込むと、は背中を反らし、一際甲高い声を上げた。背中に覆いかぶさるようにして、耳たぶを甘噛みする。右手の中指を彼女のクリトリスに当てがい、律動に沿って刺激してやれば、中がより一層きゅっと締まった。危うくイきかけた。

「上、乗って」

 ここで終わらせるにはまだ早い。挿れてからまだ十分も経っていない。それに、まだ三回しかイかせてない。矯声に色が宿らなくなるまで、「もう無理」と懇願し、疲れ果てるまで攻めるのが僕なりのセオリーだ。暴発しないよう細心の注意を払いながら、膣から下半身を抜き出し、ベッドに寝転ぶ。はこくりと頷いて、促されるまま、僕の上に跨った。太ももまで滴るほど溢れる愛液に、喉が鳴る。乱れた髪を耳にかける仕草はいつだって艶めかしい。

 僕を受け入れるためだけに作られたような、潤った膣内は、一度離れてもすんなりと僕を受け入れた。

 深く、奥まで繋がった下半身から伝わる快感はどんな時も心地がいい。騎乗位は最高だ。征服感を助長してくれる。上に跨ったを下から性急に突き上げてやれば、先生、五条先生と、そう名前を連呼し、瞳を潤ませ、甘美に乱れる様を堪能できる。何度味わっても、背筋がゾクゾクして堪らない。僕だけの特等席だった。僕だけの、そう、僕だけの特等席、だったはずなんだけど。

「会うのは今日で最後にしますね」

 そう言われて、言葉を失いかけた。



 体力を消耗しきった頃合いを見計らって、体位を正常位に変え、の腹に大量の精子をぶちまけた。枕元のティッシュを抜き取って精液を拭い、ティッシュを丸めてゴミ箱に放り込む。いい運動だったなあ、今夜もいい夢見れちゃうな、なんて浸っている時だった。「今日で最後」なんて言葉を告げられたのは。

「…は? 最後? ちょっと何言ってるかわかんないんだけど」

「あ、そっか。先生には言ってなかったですもんね」

 結婚するんです、私。

 乱れた息と髪を整えながら、一寸の曇りもなく、彼女はそう言った。

 顔面蒼白。今の僕にお似合いの言葉だろう。あれ、息ができない。呼吸の仕方を忘れたかのようだった。頭の中が真っ白だ。

「高専の人たちは大体知ってると思うんですけど、その様子だと誰も教えてくれなかったみたいですね」

 相変わらず嫌われちゃってますねぇ、とは軽快に笑う。そういえば最近、高専にいると、憐れむような、ご愁傷様ですとでも言いたげな視線を送られることがしばしばあった。歌姫がニヤニヤしながら僕を見ていたことも、冥さんや学長には、鼻で笑われながら肩を叩かれた事もある。された当時は意味が分からなかったが、なるほど、合致が行った。あいつら、全部分かってて、何も言わなかったんだな。いや、そんな事より。

「結婚? が? どこの誰と」

「普通の会社に勤める普通の人、かな」

「どこで出会ったの?」

「別にいいじゃないですか、そんなこと」

「いーや、よくない。包み隠さずまるっと全部教えなさい」

「えー」

 嘘ならば嘘でしたと言ってくれれば、なーんだ、と胸を撫で下ろせたのに、彼女から語られる出会いから婚約に至るまでの経緯は酷く生々しく、吐き気を催すものだった。相手は現在勤めている普通の会社の人間だという事。何度か連絡先を聞かれてはその度に断っていた事。でも相手はめげなかった事。折れたが連絡先を交換し、デートの約束を取り付けた事。そして、何度目かのデートの日の帰りに、唐突にプロポーズをされた事。うへぇ、と顔を顰めながら、それらを黙って聞いていた僕、かなり偉いと思う。なんてありきたりなシチュエーション。今の月九ドラマでもなかなかお目にかかれない、なんてオードソックスな展開だろうか。胸焼けしそうだ。

「そいつ、僕よりいい男なんだ?」

「…煮え切らない関係って、結構メンタルやられるんですよ、先生」

 質問に対する答えとして模範的とは言い難いが、その一言はかなり僕の心臓に突き刺さる代物だった。ごもっともで、と辟易する他ない。勝ち誇ったようにほくそ笑んでくるに、腸が煮えくり返るような感情を抱いたのはこれが初めてだった。しかし、自分だけのものにしたかった女を、顔も名前も知らない男に横取りされて、平静でいられるわけもない。プライドもクソもあるか。

「あのさ、僕、ずーっと君のこと好きだったんだけど」

「へぇ、ソウダッタンデスカ」

「ちょっと、人の一世一代の告白を受け流さないでくれるかな。その結婚、取り止めにできないの?」

「んー、結納も顔合わせも済ませちゃってますし、無理ですね」

 結納! 顔合わせ! その言葉らは重みを持って脳天に振り下ろされる。ゆくゆくは、と思っていた展開を先越されてたなんて、胸くそ悪いにも程があるだろ。エベレストのように高い持ち前のプライドも、その二言の前ではズタボロのぼろ雑巾だ。

 開いた口が塞がらないとはまさにこのこと。ぽかんと固まったままでいると、はシャワーも浴びずに、床に散らばった下着を纏い始めた。いつもならば、裸でホテルで一晩過ごしてから解散するのに、だ。帰ろうとしているのは誰の目から見ても明らかだった。感情が赴くまま、ブラジャーのホックを留めようとする手首を掴んで阻害する。

「だめ。帰さない」

「そう言われても、明日、朝から婚約者と約束あるんですけど」

「そんなの知らない。ほら、もう一回戦するよ」

「先生、一回出したら寝ないと回復しないじゃないですか」

「人を一発屋みたいに言うな」

 強引に手首を引いて、を腕の中に抱き込む。ホックを留め損ねたブラジャーを引きずり下ろして、手のひらで胸を弄びながら、彼女の首筋に顔を埋めた。吸い付いて、痕でも付けてやろうか。それとも、強く噛み付いて、歯型と青紫の鬱血を残してやろうか。あーあ、ショックだな。僕だけの特等席が僕だけのものじゃなくなる日が来るなんて、考えてもみなかった。膝の裏と腰に小さい黒子があることとか、耳たぶが弱点なこととか、どう攻めれば乱れてよがって悦ぶのかとか、その婚約者とやらは知っているのだろうか。

「先生、結婚式来てくれますよね?」

「行かない。むかつくだけだもん」

「可愛い教え子の晴れ舞台ですよ」

「うるさい」

 の顎を掴んで、無理矢理唇を重ねる。荒々しい口付けに、文句の一つも言わず受け入れる、余裕綽々な様が憎くて仕方がなかった。このまま噛みちぎって、誰ともキス出来なくしてやろうかと思ってしまうくらいに。息継ぎのために口唇を離すと、はこれを見よと言わんばかりに、得意そうに予約確定済みの左手の薬指を見せつけてきた。指輪は嵌められていない。失くしたら危ないから普段は付けないようにしているのだ、と彼女は言った。

「…あの人、片膝をついて、指輪を嵌めながら、”お嫁さんになってください”って言ってくれたんです。今時そんなテンプレなプロポーズしてくる人いるんだぁって思って、私、お腹抱えて笑ったんですよ」

「性格わる」

「うわ。それ、先生にだけは言われたくない」

「キスはした? もう何回ヤッたの」

「いや、そういうの全くしてないです。婚前交渉はNGだって思ってるみたいで」

「今時そんな男いるんだ、すごいね」

「ね、すごいですよね」

 セックスどころか、キスすらもせず、女の心を射止めるだなんて。そんなことが出来る男が現代に生きていることが驚きだ。プラトニックな稀少生物として、研究対象にした方が世の為になるんじゃないだろうか。話を聞く限りでは、婚約者とやらは何もかもが僕と正反対の人間に思えた。はその男の何が良くて、一体どこに惹かれたのだろう。僕でいいはずなのに、僕では駄目な理由の見当が付かない。彼女を何度犯しても侵しきれなかった部分を、どう埋め合わせたのだろうか。謎は深まるばかりだ。

「どんな奴なの、そいつ」

「私には勿体ないくらい、いい人で優しい人。先生とは真逆なタイプ」

「へーえ。確かに、には勿体ないね。どうせ上手くいかないのがオチだよ」

「あはは、そうかもしれないですね」

 こちとら笑い事じゃないんだけど。真面目に言ってるのに、そんな奴やめときなって意味も込めてるのに、伝わっていないみたいだ。あーあ、本当にむかつくな。呪ってやろうか、と思った。僕、祓う側の人間なんだけどなぁ。

「ねぇ、もう一回聞くけど、そいつ、僕よりもいい男なわけ?」

「”悪い男”に捕まらないようにね、って言ったのは先生でしょ」

「好きなの?」

「……さぁ」

 明言しないあたり、一枚上手で、狡いと思う。その言葉に孕んだ意を、どうとでも都合のいいように解釈できてしまうじゃないか。散々鳴かせて、手の内で転がして来たと思っていたけれど、今じゃどうだ、僕の方が手の内で転がされてはいないだろうか。は僕の腕の中から踠いて脱出すると、のそのそと移動して、床に置いたままの鞄を漁り始めた。そして、一枚の白い便箋を目の前に差し出して来た。結婚式の招待状なのは明らかだ。全く気は乗らないが、渋々それを受け取ると、彼女は歯を見せて、挑戦的な笑みを浮かべた。

「ねぇ、先生。来てくださいね。絶対ですよ。待ってますから。式は来月の第二土曜日です」

 ふぅん、なるほど。僕、試されてるわけね。いいよ、乗ってやろうじゃん。



***




 月九ドラマのこと、少し小馬鹿にするような発言をしたのを撤回したい。もう、なんて言うの、すごいドラマチックだったんだ。ていうか、まさにドラマ。映画とか、漫画とか、そういう創作物の世界でしかあり得ないような展開。人様の結婚式に遅れてやって来て、教会で新郎新婦が誓いのキスを交わす直前に「ちょっと待ったあ〜!」なんて叫びながら、花嫁をかっさらうなんて、あり得ないでしょ、普通に考えて。

 着飾った歌姫が「五条なにやってんの?!」と怒鳴ってた。学長あたりは「遅刻しておいて何をしでかすかと思えば」と呆れ返ってることだろう。冥さん、硝子あたりは、まあ考えなくたって分かる。肝心の花婿が一番びっくりしてただろうけど。でもそんなのしーらない。後でお灸をすえられようが、鉄拳制裁を食らおうが、関係ない。僕が僕であるために、僕が僕でいるためにやらなきゃいけないことは、招待状を手渡された時から決まってたんだから。

「来てくださいねとは言いましたけど、ここまでしろなんて言ってないですよ」

 文句を垂れる花嫁をお姫様抱っこで運びながら、人目も憚らず、追っ手から逃れるかのように街中を走った。全く、どの口が言うんだか。僕の今の気持ちが分かってたまるか。たった一人の女を手中に収めるためにここまでしないとだめって、相当だと思うよ。

「あいつ、殺してやろうかな」

「うわ、結婚式に遅刻して邪魔した挙句、物騒なこと言い出した」

「だって君にキスしようとしてたろ」

「それだけで?」

 視線を落とせば、腕の中の花嫁は頰を緩ませ、不敵な笑みを浮かべていた。してやったり、そんなところだろう。先を見据えて招待状を渡しておいて、思い通りに事が進んで心の中ではガッツポーズ決めてるくせに、よく言うよ、本当に。参っちゃうな。まあ、こんな風になったのはバカみたいなプライドに邪魔されて、大事なものを手放しかけた僕のせいなんだけど。今ならちゃんと言える。ていうか、今しかない。自分の気持ちを包み隠さずストレートに伝えるなら、今だ。

「好きだよ、

「うん」

「結婚するなら、このグッドルッキングガイ、三高優良物件五条悟先生にしなさい」

「はーい」

 腕の中の花嫁は、行き場のなかった腕を僕の首に回して、聞いてるこっちが気持ちよくなるくらいの、元気のいい返事をした。

「あーあ、破談かあ。やっぱ、慰謝料とか賠償金とか請求されちゃいますかね?」

「そんなの、僕がいくらでも払ってやるよ」

「あらま」

「いくらでも払ってやる。だから君は、黙って僕の側にいればいいの。分かった?」

「……先生のばか」

 言うのが遅いって言いたいんでしょ。分かってるよ。でも、そうやって僕のこと貶してくる割に、頰が緩んで緩んで溶け落ちそうになってるくらい嬉しそうな顔をしてること、君は気づいてるんだろうか。まあ、いいや。今は指摘しないでおいてあげよう。第一に、この僕を手の内でころころ転がした罪がどれだけ大きいかを分からせてやらないといけないし。あとでうんとからかって、馬鹿にして、意地悪、って言われるくらいおちょくる材料にする。そうしてから、むすっと尖らせた唇にキスをして、あの男にかけられた左手の薬指の呪いを祓ってやるんだ。うん、それがいい。

 さて。どうこの純白の花嫁を、汚してやろうか。泣いて叫んで疲れてもう無理だと許しを請うても、今日は絶対に止めてやらない。絶対にね。