放課後にドゥ・マゴで甘ったるいカフェオレを啜りながら、手元の携帯電話に視線を落とす。オーバーテクノロジーだ。そう思わずにはいられなかった。



 手のひらにすっぽりと収まるサイズの白い二つ折りの文明機器は、一度も本来の機能を果たしたことはなかった。意味もなく開けたり閉じたりを繰り返しては、何かしらの通知が来ないかと待ちわびているというのに、液晶画面に表示されるのは現在時刻のみである。

「携帯電話を持っていない?君はそれでも現代っ子か?イマドキの女子高生なら勉強するより携帯電話で友達とお喋りじゃあないのか?」

 そう言われたのが2週間ほど前のこと。そういう家庭の方針なんですと告げたら、不満げに眉間にシワを寄せていた姿は記憶に新しい。

「ぼくと直々に連絡を取れるなんて編集部の奴らくらいなんだぜ」

 誇った顔で手渡されたのは「岸辺露伴」の連絡先が入った携帯電話だった。

「わかってるとは思うが、ぼく以外の連絡先は入れるなよ。せっかくぼくが忙しい間を縫って連絡してやったのに、当の君は友達とお喋りに勤しんでました、なんてたまったもんじゃないからな」

 露伴先生曰く、何かしら必要に迫られるかもしれないし、持っていたっていいだろうと思って契約したらしい。が、結局のところ彼の生活ルーチンといえば、取材、原稿、取材、原稿、その繰り返しである。連絡など、家の固定電話だけで十分だったようだ。要するに「私と連絡を取りたいから」ではなく、不必要なものを押し付けらた形なわけだが、勿論どんな理由であれ、彼といつどんな時でも連絡が取れるとなれば彼に対して好意を抱く私としては喜ばざるを得ない…はずだった。

「おっと、不用意に電話をかけようなんて思うなよ。君はただ黙って待ってりゃあいいんだ」

 つまり、この携帯電話は受信専用機、ということである。まるでお預けをくらった犬のような気分だった。



 露伴先生はああ言っていたけれど、なんだかんだ言って電話をかけてきてくれるかもしれないなんて最初は思っていた。受け取ってからしばらくの間は学校の休み時間毎に着信がないかと確認したり、学校外ではいつでも電話を取れるようにと必ずマナーモードを解除したりしていたけれど、何日も音沙汰なく経てば一喜一憂することにバカバカしさすら感じてしまっていた。付き合ってるわけじゃないから連絡なんて特別取る必要なんて先生には無いだろうし、そもそも関係性といえば毎週火曜にドゥ・マゴで顔を合わせた際にお喋りという名の取材を受けるだけなのだ。

 じゃあ一体何のための連絡ツールなのか?それこそ岸辺露伴のみぞ知るわけで。深く考えても仕方がないのである。鳴らない電話。メールも送れず。待ってるばかりは疲れるのだということを嫌と思い知らされた。できるはずのことができないもどかしさに、居ても経ってもいられなくなって、彼の姿を探しては毎日ドゥ・マゴの前をわざわざ通ったりもした。

「露伴先生…今なにしてるんだろ…」

 今まではほんの少しだけ話せるだけでも幸せだったのに。淡い期待が現実にならないだけでこんなに辛いなんて。思わず深いため息がこぼれた。

「随分デカい溜息を吐くんだな。生理か?」

「いや、これは恋煩い……ん?」

 思考の海に身を投じていたせいか、反応が遅れてしまった。聞き馴染みのある声だ。傾いた太陽が作り出す陰りが、テーブルに影を落としていた。目を見開いて顔を上に向ければ、悩みの根源、岸辺露伴の姿がある。

「ろ、ろ、露伴先生?!」

「なにをそんなに驚いてるんだよ」

 済ました顔で彼はそう言うと、特に断りもなく私の向かいの席に腰掛けた。メニューを手に取ってさっと目を通すと、店員を呼び止めて注文をする。パフェでも食うか?と聞かれたので、私は咄嗟に頷いた。

「で、 。生理じゃあないってんなら、その大きい溜息の原因はなんだってんだ?」

「いや、あの、えっと、」

「まあいい。言いたくないってんなら読めばいいだけなんだけどな」

「先生、ヘブンズドアはやめてくださいよ。私にだってプライバシーってものが」

「あーはいはい。分かってるよ」

 露伴先生は子供がいたずらを咎められた時のように唇を尖らせた。先に運ばれてきたグラスの水を飲むと、肩にかけていたカバンを取って、空いている席にそれを置く。いつもと違うカバンだな、と瞬時に分かった。いつもの彼ならば、ペンとスケッチブックだけが収まりそうなカバンを提げているのに、今日は一回りほど大きめで、中にそれなりの荷物が詰まっているようだった。

「先生、どこか行ってたんですか?珍しく荷物が多いですけど」

「ああ、ちょっとばかり旅行にね」

 なるほどな、と思った。いつもドゥ・マゴで顔をあわせる曜日に彼の姿が見えなかったのはそう言う理由だったのか、と。

「大体は近場で済ませるんだがね、取材も兼ねて遠くに行くことだってあるさ。四日で入稿、そのあとは休暇。ぼくは漫画家の中じゃあ特にデキる部類だからな、スケジュール管理だって仕事のうちなんだぜ」

 彼は自慢げに口許を歪めて、続ける。

「君こそ珍しいんじゃあないか?」

「へ?」

「木曜にこの店にいたことないだろ」

 確かにその通りだった。放課後にドゥ・マゴに訪れるのは決まって火曜日で、その理由は「岸辺露伴がいるから」だ。それ以外の理由はない。反対に、他の曜日に訪れないのは「岸辺露伴がいないから」だ。今日訪れたのは、もしかしたら会えるかもと思っての行動だ。

「そういう先生だって、いつも木曜のこの時間には来ないでしょ」

「ぼくは君の姿が見えたから寄っただけだぜ」

 露伴先生は店員が運んできたアイスコーヒーをストローでくるくるとかき混ぜてから啜り、スプーンを手にとってパフェの生クリームを掬って一口頬張った。思っていたより甘かったのだろうか、彼は僅かに顔を顰めては即座にまたアイスコーヒーを啜っていた。

「珍しい曜日に珍しい客がいるなと思って見てれば、キノコでも生えてるんじゃあないかってくらいにどんよりしてて、オマケにデカい溜息吐いてると来た。気にとめるなって方が無理ってもんだぜ」

 一連の動作を目撃されていたとは思わず、気恥ずかしさが体内を駆け巡った。言葉に詰まって、思わず傍の携帯電話に視線を落とす。私の僅かな視線の変化を、露伴先生は見逃さなかった。

「そいつがどうかしたのか」

「…連絡」
 私は消え入りそうなか細い声で、言った。「露伴先生から、電話来ないなって、思ってただけです」

 暗い理由はあなたがくれたこれが原因です、ずっとあなたからの連絡を楽しみに待っていたんです、なんて言えればある意味楽になれるだろうけど、ぐっと堪えた。先生は私の気持ちなんざこれっぽっちも知らないのだ。もし事細かに伝えたとしても、場合によっては次回から顔を合わすことすら気まずくなる可能性だってありうるのだ。そんな最悪の状況に陥るくらいならば、心の底に感情をしまった方がよっぽどマシだ。

「ふぅん。そんなにぼくからの電話が待ち遠しかったのかい」

「だってそれ以外の使用用途無いじゃないですか、これ」

「そういえばぼく以外の奴と連絡とるなって言ったんだっけな」

 律儀に守ってたなんて偉いじゃあないか、と彼は続けた。にやりと笑ったかと思えば身を乗り出して携帯電話を手に取り、操作している。発着信履歴を見てうんうんを頷き、偉い偉いと呟く。「約束をきちんと守る奴は嫌いじゃないぜ」と言って彼は不敵な笑みを浮かべた。

「しかし電話一つで感情が左右されるとは、君もなんだかんだイマドキの女子高生なんだな。さっき言ってた恋煩いって奴か?なかなか興味あるな。しかしこの岸辺露伴がそこまで愛されてるとはね、予想外だよ」

「……へ?」

「ぼくのことが好きなんだろう?」

 露伴先生は確信を目一杯に言葉に込めて言い放った。私はというと、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、持っていたスプーンをテーブルの上に落とした。甲高い金属音が鈍く辺りに響く。彼があまりにも自信満々に言うものだから、私もつられて「はい!そうなんです!」と答えそうになった。なぜ知られているか?そんなもの答えは一つしかない。

「先生、もしかして……」

「ぼくに隠し事なんて無理に決まっているだろ」

「い、いつの間に」

「さあ…いつだったかな」

「プライバシーの侵害ですよ」

「フン。何とでも言え」

 私は顔が赤面していく様をまざまざと感じ取っていた。頰が火照って痛いくらいだ。肩を埋めて丸まり、両手で顔を覆い尽くす。ちらりと露伴先生を見やれば、勝ち誇ったような顔で私を見ている。

「ま、君がして欲しいってんなら、これからはなるべく電話してやるよ。ああ、火曜はいつも通りここで話そうぜ。それでいいだろ」

 さっさと食べないと溶けるぜ、そう言って露伴先生は私にスプーンを手渡した。私はそれをそっと受け取って、かき込むようにパフェを頬張った。火照った顔を鎮める冷たさが口内に広がるが、気恥ずかしさで味なんてわかったもんじゃない。

「先生ばっかりずるいですよ…私だって先生のこともっと知りたいのに…」

「これがぼくの能力だからな」

「ぐぬぬ……」

 敵わないなあ、と心の中でつぶやいた。先生にはなんだってお見通しなのだ。知られてしまった感情を覆い隠すように私は無我夢中でパフェを口に運んだ。その姿を、露伴先生は愉快そうに見守っていた。試しに「私のこと、好きですか?」と聞いてみれば「知りたかったら読んでみろよ」とだけ返ってきた。そんなこと、できるわけがないのに。ずるいひと。